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2009年8月

こどもを本好きにするには

っと言った課題ですが、これは超難問かとおもいます。ましてや今時、本は読まなければならないと感じてる親はほんの少しなんでしょうね。その中で本は大事だと思ってるけどなかなか読んでくれない、強制すればするほど遠ざかってしまい、ただおもしろくないけれど親が強制するのでいやいや読んでるっていう状態だと意味が無いと思うんです。私も子供の頃、あまり本を読まなかったのでものすごく後悔してるんです。改めて読書の大事さ、国語の大事さをいやがおうに感じています。藤原正彦は数学者にして、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数」と言わしめているほどです。昨今、教育レベルの低下の問題にあいまって子供の本離れが深刻になってきています。映像メディアが発達してきているからです。水島醉氏がいうように民営TVは営利企業なので見たくない人にも引きつけるように制作してあるので一度つけるとなかな消しがたくなるのは事実です。そして時間のあるときはずるずる見てしまう。ちゃんと時間を決めて管理することが大事です。TVはほぼ30分単位で番組が変わるので比較的時間管理しやすいですが問題はTVゲームです。30分とか時間制限してもゲームの途中だとなかなか区切りが悪い。そして強引にゲームの途中で中断するとすごいストレスがかかり気持ちの切り替えがなかなか難しい。

こどもを本好きにするためには 何度も言うようにとても難しいです。その一番の方法は環境を変えることですがその環境を変えると言うこと自体が難しい。
このご時世でそれをさせるには相当ストイックな生活をしなければなりません。
それでこのタイトルを考えるため同じようなタイトルの本をご紹介します。どれもとても優れた内容です。これで何が大事なのか、単に表向きの行動に限らず人間の心理を理解し真実を受け入れるようにすれば自ずと道が開けるでしょう。

どの書籍も一字一句とても大事なことが書いてあるのでここではあまり紹介はしませんが一つだけ引用します。

「馬を水辺に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない」

西洋のことわざで多湖輝(知る人ぞ知る超ロングセラーの頭の体操の著者です)の「本を読む子に育てよう」
の中にありました。この言葉が全てを物語ってます。

また本タイトルとは少しずれてるかもしれませんが水島醉氏の「進学塾不要論」はかなり衝撃的なタイトルにして内容もしかりです。
これは中学受験をさせるためにはどうするか のために読むのではなく、教育界の現状の把握、そして何をたよりに勉強させるか、なにが大事か本筋を一つ示してくれてると思うのです。とくに気の焦ってる教育ママやパパにはお勧めです。子供を崩壊しないためにも一読してほしいものです。中学受験させるさせないは問題ではないです。
おなじく最近よく「東大合格法」とか「東大のなんとか」とか東大生のなんとかといったぐあいの本がはやってますね。少し前にドラマや漫画ではやったドラゴン桜の影響かと思います。
こういった東大系の本は有用と思います。これも本の読み方ですがけっして東大に行かせるからよむのではなくてここからもっとも効率のよい勉強方法というものがありそれを学ぶ意味で有用です。全国民が認めているように東大は日本のトップの学校で国内で一番優秀な学生が集まってます。そういう学生たちがどうやって勉強してきたのか一読の価値があるとおもいます。

総じて学校の授業が大事ということです。


この世の中は自由経済主義が当然のように全ての国民が納得しているとおもいますがそれは自己責任が前提であることをわすれているのではないでしょうか?全て国民が自由、自由を追い求めるのは結構ですが自己責任がいつもつきまとう。具体的に言いますと
TVを見過ぎて目が悪くなろうと勉強の時間が無くなって授業がわかならくなろうが、睡眠時間がなくなり自律神経がおかしくなろうがTV局には一切責任はない。ものすごくおもしろいTVゲームにはまってやりすぎて勉強ができなくなったとか字が読めなくなったとか書けなくなっただけでなく、友達と貸し借りでトラブったり、ソフトがほしくて万引きしてつかまったとか、違法コピーをネットで流してつかまったとかあげくのはてにひきこもりやニートになっちゃったといっても ゲームメーカーは一切責任はありません。また例えばものすごくおいしいケーキを食べて虫歯になったとか糖尿病になったとかなってもケーキ屋さんには一切責任はありません。全て自己責任なのです。
自由とは恐ろしいものですね。ストイックまで制御しないと健康な体や生活を守ることができないのが現代です。

主題から少し離れたかもしれませんが環境を変える(多くは逆境)ということを最優先に考えることが大事と思います。これはどの本も共通した見解です。人間は目にするものを欲する(好きになる)という生理現象とういうか基本的心理現象と言いましょうかそれをうまくコントロールできれば最小の努力で目的を達成することができるでしょう。

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100マスは集中力のバロメーターです

100マスをやらしてある発見をしました。通常であれば同じ問題をすればするほどタイムが短くなるのですがタイムが前回より悪かったりばらばらなときがあります。原因は集中力にあると思います。今現在集中しているのか集中してないのか外見から判断することはなかなか難しいです。しかし100マスのタイムで今、この子が集中力を発揮しているのか発揮してないのか数値で判断することができます。そしてなぜこの子がいま集中してないのかを考えてみると
昼間、(特に日曜日など)遊びすぎてまだ楽しい余韻が残ってるとか、何時間か前に親にすごく怒られて泣いたとか、何かいつもと違う心の変動があったりします。こういう時は何を教えても頭に入っていかないので時間の無駄になりますから(もっと集中しろとか怒ったり、勉強量をふやしたりしないほうがいいです。)思い切って勉強をやめるとかそうでなければパズルをするとか、ゲームをするとか(決してDS等ではないです。)、いつもと違う知育教材を使って遊ぶとかしたほうがいいでしょう。

人間だれしもやる気のあるときと気が向かないときがあります。私もそうですが気が向かないときは勉強も仕事も全然やる気が起こりません。だらだらしていまうのです。しかし一度やる気が起こるとすさまじい集中力を持ってはかどります。そんなときは食事とか睡眠とか忘れてしまいます。

しかし子供にそんな集中力の波が大きいとあまりよくありません。なので規則正しい生活を根底に守らせる必要があります。規則正しい生活をすることにより決まった時間にお腹が減り、決まった時間に排泄をもよおすようにあり、決まった時間になると眠くなり、決まった時間に起きるようになります。そして決まった時間に勉強をすると自然に集中力を高めるようになります。
こうするとこによって体の健康によいとは言うまでもないのですが、まず時間の無駄が省けます。朝親が”起きろ!”と何度も言って完全に起こすのに何十分もかかったり、夜も寝かしつけるのに何十分もかかったり、”早くしなさい”と一日も何十回も目くじら立てて言う必要がありません。一日はたった24時間しかないので効率を考えて過ごさないともったいないですね。

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相対性量比論とは

何なんでしょう。この言葉は?なんだか聞いたことのある響きでなにやら厳かな理論かなと思わせます。ググってもなかなかヒットしません。当たり前です。私の造語です。訳の分からない造語を作ったり突然頭に浮かんだりして造るのが好きです。(*´v゚*)ゞ
解説しますと 情報を対比して分析するときに使います。例えばA氏が○という主張をします。B氏がA氏とはまるで反対の意見の×という主張をしたとします。一般の人は○が×か、正反対の意見なのでどちらか一つ、○でなければ×、×でなければ○とう見方をします。こういう論争を長々と繰り返します。それは終わりのないトンネルに迷い込んでいきます。表面的なロジックだけで物事を判断するとどちらかが正しくてどちらかが間違いという風な判断しか下せなくなります。でも実際は両方とも正しい主張であるということが多いです。
それはなぜかというと
一つに到達するゴールが違ったりそれに至るまでの過程の違いから生ずる差異です。
もう一つは物事には全てのものに利点と欠点が存在します。どちらか一方が100%というのは存在しません。それをただ散在する対象の大きさ(量的なもの)を考えないで掘り起こしたところで終わりのないスパイラルに陥るだけです。
先ほどの例でいうならばA氏の主張である○は利点が一個、欠点が一個存在します。B氏の主張である×も同じく利点が一個、欠点が一個存在します。それぞれA氏は利点だけを主張しB氏は○の欠点を主張してるだけです。反対にB氏は×の利点をA氏は×の欠点を主張してるだけです。
それではどうすればよいかというとその利点欠点を量的に考えればよいのです。○の利点は60% 欠点は40%(単位は%とは限りませんが)なのでそれぞれ利点欠点を対比した結果、A氏は○がよいという判断を下しているのです。こういう量的対比をとりいれればそれぞれこういう主張になります。
A氏:○の利点は60%だよ。
B氏:いいや違う40%だ。だから×を主張する。 というふうに。
第三者から見ればこれならすっきり理解ができると思います。A氏とB氏のけんかが。

この考え方は非常に重要で、この情報が錯乱している近代において情報を整理するという意味で量的に物事を判断する方法を習得していなくてはこの世の中は生きていけないでしょう。まず何が正しくて間違いなので判断できなくなり、主体性を失い、絶対ぶれてはいけない基本的な支柱までもゆらぐことになると 以前私が図示した知識の積み木に間違った積み木を置いてしまい、そしてその上にどんどん別な積み木を積み上げていくことになると自分では極めて論理的な主張をしてると誤解し間違いが見いだせずにいるのです。

なんだか抽象的な話になってしまいましたがこの次に具体的な例を挙げて説明しましょう。

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こころ~夏目漱石~は名作でした。

先日 「こころ」は本当に名作か 小谷野敦著を読みまして 夏目漱石のこころを読みたくなりました。小谷野敦という人は結構ひねくれもんらしいですけど(著書紹介の写真がたばこくわえてるし)けっこう興味深く読んでいきましたが”手塚治虫より永井豪が上”という一文を見つけてから、手塚治虫という私の領域に入ってしまったのがために懐疑の目で残りを読むようになりました。手塚漫画はおかまっぽいとかいってますけど手塚漫画の何を読んだのでしょうか?ブラックジャックのどこが火の鳥のどこがおかまっぽいのでしょうかね。あーだめだめ、手塚の話になると止まらなくなるのでまた別の機会にスレッドを立てます。
話を元に戻し、恥ずかしながら夏目漱石は猫と坊っちゃんしか記憶がございません。でもこころは教科書の定番なので抜粋で読んだかもしれませんが記憶にありません。基本的に小説は好きではないのであまり読みません。特に最近は新書のたぐいしか読まないのでこころは極めて新鮮な気持ちで読めました。 久々に文学と言える名作を読みまして大変感銘を受けました。まず目に引くのが日本語の巧みな表現、言いまわしです。素晴らしいです。素人が書く新書とは全然違います。当たり前ですが。明らかに一線をかきます。これぞ文豪または名作といわれるゆえんですね。文学音痴の私にも違いが分かりました。
さて こころの内容もすばらしく、漱石の巧妙な言葉によって人の心の内を明細に描き出してます。これは映画か漫画でも表現することは難しいでしょう。この本の読者としての最適年齢は大学生ではないでしょうか?同じ主人公が大学生でもあるし親と学生の関係も巧みに表現されていて共感するものが多いのではとおもいます。

しかしただ一点、批判するものがあるとすれば脚本ではないかとおもいます。私は超文学素人なので小説の読み方というものを知りません。何がいい小説であるか悪い小説であるか基準は何なんでしょうね。難しいボキャブラリーを駆使したものが格が上なのか、涙を流すような読者の心の変動が大きければよいのか、脚本がしっかり組み立てられてるのが名作なのか、それとも文学の普遍的価値はなく読者がたまたまはまった(主観的におもしろいと思ったもの)ものがいいのか。

 例えば この”こころ”に関して
① 先生が赤の他人である私に心を打ち明けたのはなぜか とか
② Kはなぜ○○したのか また先生もなぜ○○したのか。(こころの内容がネタバレするので○○にしました。初読の人に対して楽しみを奪うことになるので)
③ 私も意外な展開である○○したことに疑問、不愉快さを多少感じます。小説といえども○○を容認するということになりはしないか。小谷野敦様のご批判も脚本の不備を指摘しておられます。

映画に関していうなら映画の善し悪しは脚本がすべてだと思うんです。たとえ俳優がイケメンであろうと演技がうまかろうが、またいくらCG(コンピュータグラフィック)を駆使して映像を派手にしたり、爆発やピストルをどんぱちどんぱちさせても脚本がだめだと全然おもしろくない。フィクションには違いないんですけど論理的に構築された現実味に近い脚本でないとなかなか話の中に没入することができません。

最後にもう一度いいますけど こころは名作でした。
ちなみに子供にはねこ、坊っちゃんから読ませましょう。


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宮本哲也VS影山英男

お二人とも教育界のカリスマです。このバーサスVSが成り立つのは算数だけです。なぜなら宮本哲也が算数しか教えてないからです。正式には算数に関して 宮本パズルVS百ます計算 ということになります。
まずは宮本哲也著”強育論” 続編の”超・強育論”をお読みください。本のタイトルからかなり強烈なイメージでいわゆるスパルタ教育みたいな印象は受けます。このファーストインプレッションで嫌悪感を感じ、この本を手にしない人が多いのではないかと推測されます。しかしこのイメージとは完全に違った趣向で斬新的な教育方法で教育の本質、いえ人間の本質を垣間見た感じがします。少々荒っぽいのは文章の言い回しですが物事の本質を論じると言うことは少々声高に荒立ててしますよね誰でも。要約すると ”何も教えない勉強法””自分で考えさせる”といったところでしょうか。これをさせるためにいろいろな創意工夫をしてます。
まずは宮本パズルをさせてみてください。おもしろいと言います。夢中になって解きます。なるほど算数の入り口としてこれをすることにより算数の面白さが実感されます。これをやった子供に算数嫌いは絶対いないと思わせるほどすばらしいパズルです。
宮本氏は無意味な反復計算練習はむしろ有害だと言っておられます。つまり暗に影山氏を批判して反対の立場をとってます。たしかに一般の市販問題集にあるように計算問題が羅列してあるのをただ単に解かせるのはかなりおもしろくないかもしれませんが百ますはゲーム性を持たせ集中力を養うという点で有意義だと思います。

それではどうすればよいのか?答えは簡単です。両方やらせればいいのです。どちらも子供が興味を持って楽しくやってくれる優良なツールです。
前回も申したようにほんの基本的な基礎トレーニング。いままで腹筋しかしてなかったのを腕立て伏せを加えただけと考えればいいでしょう。

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